今や住みたい街ランキングの常連となり、すっかり人気の街として認知された「武蔵小杉」。再開発により急激に発展した当地はしかし、わずか十数年前まで「何もない」エリアだった。なぜ武蔵小杉は、かくも大きな変貌を遂げたのか?
近年まれに見る大規模再開発。その背景を探るべく、武蔵小杉の再開発事業に初期から携わってきたキーマンを直撃。そもそもの開発の経緯やポイントを伺うとともに、武蔵小杉に続く「これから伸びそうな街」を予測してもらった。
●始動は30年前。当初の再開発構想は「商業エリア」だった
お話を伺ったのは株式会社日本設計の大塚正宏氏、高橋恵子氏。「武蔵小杉周辺地区のまちづくり」に計画段階から携わり、その発展に尽力してきた。
▲日本設計常務執行役員の大塚正宏氏(左)と同再開発担当部長の高橋恵子氏(右)
まずは開発の経緯から。一帯はここ10年ほどで急激に様変わりしたが、じつは当初の再開発計画は遡ること30年前。昭和63年に「再開発地区計画制度」が創設されたことが発端だ。各地で再開発への機運が高まり、武蔵小杉もターゲットになったという。
大塚氏「ちょうどその頃に川崎市から調査委託を受け、私たちがコーディネーターや設計者、コンサルタントとして関わることになりました。対象エリアは東急東横線・武蔵小杉駅の西側と東側。当時は駅前に変電所と大きなグラウンドがあり、そこに商業を中心とした拠点施設を作る計画だったんです」
ところが、ほどなくしてバブルが崩壊。計画の見直しを迫られることに。
大塚氏「当初、川崎市の計画では住宅は作らないことになっていました。商業を中心とした、周囲からお客様を呼び込めるエリア、百貨店やオフィスビル、ホテルが立ち並ぶような街づくりをイメージしていたんです。いかにもバブル的ですよね。しかし、バブル崩壊で計画の再考を余儀なくされた。そこで私たちが考えたのは、やはり街というのは人が住み、生活し、その上で発展していくものであると。街づくりの原点に立ち返ろうということで、平成7年頃から住宅を含めた複合的な再開発計画が再始動しました」
▲昭和63年の武蔵小杉駅周辺。当初は駅の両側を対象としたコンパクトな再開発が計画されていた(画像提供:日本設計)
●相次ぐ工場移転で、駅徒歩10分圏内に広大な用地が出現
計画の軸が定まり、再開発への機運がいよいよ高まったころ、予期せぬ追い風も吹いた。武蔵小杉駅周辺に複数点在していた工場が、次々と他県へ移転。駅徒歩10分圏内に広大な"用地"が出現し、デベロッパーの熱い視線が注がれるようになったのだ。
高橋氏「もともと武蔵小杉駅周辺は京浜工業地帯の一角として、工場や社宅が多いエリアでした。しかし、バブル崩壊によって工場を撤退、あるいはコストの安い郊外に移転する企業が相次いだ。東京の都心部にもアクセスしやすい武蔵小杉の駅前に、突如として多くの空白地帯が誕生したわけです。もともと駅前は川崎市の指導のもとで開発される予定でしたが、その周辺も含め、一気に開発の余地が出てきたんですね」
▲平成16年の時点ではマンションはほとんど見られない。ここから10年間で、劇的に街が変わっていく(画像提供:日本設計)
平成14年からは不二サッシ工場跡地を対象に、UR都市機構を中心とした都市型住宅の開発計画がスタート。住宅主体の再開発が本格化する。そして、平成20年にはエリア初のタワーマンションも誕生。以降は現在に至るまで、大量の住宅供給が進んでいる。
また、並行して道路の拡幅や駅前広場の整備、大型商業施設や公共公益施設も順次誕生し、平成22年にはJR横須賀線の新駅も開設。瞬く間に「新しい街」がつくられていく。注目度も急上昇し、マイナーな工業地帯はいつしか「住みたい街」の常連に。さらに、地価はここ10年で2.2倍に跳ね上がった(※平成17年から平成28年の地価公示を比較)。
高橋氏「再開発はエリアごとに川崎市と民間業者、それぞれの手によって行われていますが、住宅ばかりが増えてしまえばアンバランスで住みづらい街になってしまいます。商業や文化も含めた街としての魅力も備えていなければ、ゆくゆくはゴーストタウンと化してしまう恐れもあるでしょう。そこで、武蔵小杉では川崎市が主体となり、住宅、商業、娯楽、教育、文化交流をコンパクトに集約した、バランスのいい街づくりが進められています」
当初は住宅の開発が先行していたものの、平成28年の段階では住宅が約56%、商業が約14%、行政などの業務関連施設が約27%と、武蔵小杉駅周辺の機能は程よく分散。街として多角的な魅力を備えていることが分かる。
▲平成25年。駅前や工場跡地にタワーマンションが次々と建ち、「武蔵小杉東急スクエア」などの商業施設も誕生(画像提供:日本設計)
というわけで、武蔵小杉の再開発は複合的な要因が重なり、ここまで大規模なものになっていったようだ。しかし、そもそもの話として、なぜ1980年代中盤に川崎市は当地に目を付けたのか?
大塚氏「武蔵小杉は川崎市の中央に位置し、東横線と南武線のクロスポイントでもある。市内各所、また、首都圏近郊への交通の便に恵まれているということが大きかったのだと思います。あとはやはり駅のすぐそば、しかも東西両サイドに広大な低未利用地があったことでしょう。せっかくの駅前、しかも東急東横線という人気路線ですから、都市基盤の整備に併せて土地の有効活用をする必要があったのです。その時点では工場の移転によって用地がさらに広がることまでは予測できませんでしたが、もともと高いポテンシャルを秘めたエリアであったことは間違いないと思います」
●今後、大きく伸びる可能性がある街は?
ではこれから先、「第二の武蔵小杉」......とまではいかずとも、大きく伸びる芽がある街は存在するのだろうか?
▲両氏は「難しい質問ですね...」と苦笑しつつも見解を述べてくれた
大塚氏「手堅いところで申し訳ありませんが、東京23区内で最も大きく変わるのは『品川』だと思います。2020年に山手線の新駅が完成しますが、新しく駅ができるインパクトって本当に大きいんです。武蔵小杉も横須賀線の新駅ができた時は正直、『なんでこんな不便な場所に?』と疑問を抱きましたが、あっという間に駅前が整備されて一等地になった。品川新駅の周辺にはJRの車両基地などまとまった用地もありますし、期待は膨らみますよね」
高橋氏「全国的に見ると、札幌と名古屋ですね。札幌は北海道新幹線、名古屋はリニア中央新幹線の開業を控えており、どちらも地価が高騰しています。いま、事業者が競うように用地を買っている。両駅ともすでに大都市ではありますが、今後さらに発展する可能性を秘めているのではないでしょうか」
一方、新駅開通ほどのインパクトは望めないものの、"穴場の街"として注目したいのが東京都杉並区の「方南町(東京メトロ丸の内線)」、葛飾区の「京成立石(京成電鉄押上線)」だという。
高橋氏「方南町駅は2019年に丸ノ内の直通運転がスタートします。これまで同駅から都心方面へ向かうには中野坂上駅で乗り換える必要がありましたが、直通開始後は銀座駅や東京駅、大手町駅などに乗り換えなしでアクセスできるようになる。人気の高まりを見越してすでに新しいマンションが建ち始めていますが、今後はさらに供給が加速するかもしれません」
大塚氏「京成押上線では四ツ木駅~京成立石駅~青砥駅間で鉄道の高架化が進められていて、京成立石駅周辺では大型再開発計画もあります。京成立石駅北口では、2017年6月に市街地再開発事業の都市計画が決定し、2022年を目途に駅前に大規模な住宅、商業、公共公益施設(庁舎)を備えた複合的な都市開発が行われる予定です」
なお、京成立石駅周辺は葛飾区による『立石駅北口地区・南口地区市街地再開発事業』の対象エリアとなっている。こうした、行政の後ろ盾がある再開発は"堅い"と大塚氏は語る。
大塚氏「都市再開発法に基づく再開発事業は行政も後押ししますし、一定の補助金も出ます。よって、建物の質が担保され、周辺の道路や公共空間も含めたバランスの良い街づくりが期待できる。ひとつ裏を明かすと、事業者は行政のマスタープランに則った開発を行うことで容積率の緩和を受けられるんです。容積率が緩和されればそのぶん床面積を稼ぐことができ、事業性もよくなります。そのため、行政主導の再開発では民間事業者が暴走するようなこともない。結果、武蔵小杉のような"住みやすい街"が出来上がるわけです」
とはいえ、再開発は水物。バブル崩壊後に方向転換を余儀なくされた武蔵小杉のように、計画通りにことが進まないケースもある。これから確実に伸びる街を見極めることはプロでも難しいようだが、再開発にかける「行政の本気度」は一つの物差しになると大塚氏。これから伸びる街を「青田買い」したいと考えるなら、行政がいかに骨太の方針を示しているか、そのマスタープランを吟味することから始めてみるといいかもしれない。
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取材・執筆:榎並紀行(やじろべえ)